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■長野県の仏師、小池健蔵さん

 仏師の小池健蔵さん(18回経済、仏師名・小池健甫さん)をご紹介
します。


 妖艶なまでの美しさに魅せられ一心にのみをふるう。
やがて、その木から溢れるほどの「慈悲」を湛えた仏が生まれる。

 東京から約200q、新宿から特急で2時間20分。岡谷に到着。岡谷は諏訪湖岸の北西に位置する町である。古くは絹糸興業が盛んであったため、全国各地から事業を興そうとする人たちが定住してきた歴史を持っている。
 訪れたのは2月半ば、この冬は寒さが厳しかったので、あの有名な「諏訪湖の御渡り」が見られることを期待していた。特急が上諏訪駅を過ぎる頃から左に諏訪湖が近くなってくるのであるが、その日は春を思わせるような温かい日で、湖面の所々は氷が溶けて水面がキラキラと光っていた。

◆小さい頃から刃物好き!木も、もっと好き!
 岡谷駅の改札まで出迎えてくださったのが、今回登場していただく小池健蔵さんである。
「改札は南口とか北口とか、どこがよろしいんですか?」「一つしかないんだから…。」「改札出て、小池さんのこと探せますでしょうかねぇ。」「そんなにたくさん降りてこやしねぇよ。すぐわかるよ。」事前の電話だけで少々心配であったが、改札を出る前から小池さんを見つけることができた。改札を通ったのは私の他にあと二人だけであった。
 玄関を入ると大きな仁王像に出迎えられた。すごい迫力である。
 新聞に載っていた通信教育の「仏像彫刻」が目にとまり、テキストを取り寄せたのが20年前のことである。とにかく小さい頃から刃物が好きで、カッターナイフ、彫刻刀を手にしては自分の机や柱などを手当たり次第掘っていた健蔵君がそこにいた。
 テキストを見るとどんどんできるような気になったが、実際やり始めるとそんなには簡単に運ばず、挫折し、止めてしまったのだという。

 それから2〜3年したある日、偶然手に入った丸太ん棒にもう一度チャレンジしたものの上手く行かず、知り合いの住職に相談してみた。お寺の工事で出た木っ端をもらい、テキストを再度開いた。前に相談した時には、「私は仏門には通じているが、仏師ではないので仏像彫刻のことは全くわからない。」とのつれない返答をくれた住職からも、今度は良い出来と褒められ、その足で、住職から紹介された木刻をしている人に会いに行った。意気揚々と訪れたその場所で、またもや小池さんは自分の作品を後ろに隠してしまいたくなるほどの自信喪失を味わってしまったのである。

光背の透かし彫りが美しい
光背の透かし彫りが美しい

◆本格的に取り組んで13年
 第2と第4水曜日に岡谷のカルチャーセンターで指導を受け、木刻13年目を迎えた。実物の手本はこれといってない。仏像美術の写真集を見たり、展覧会のカタログを見たりしながら、作品を決め取りかかる。正面、後ろ、右側、左側の4面の写真が載っていれば、まだわかりやすいのであるが、正面と後ろの2方向だけの場合、横の顔、衣装の流れ、手の表情、手に持つものなどがとてもわかりにくく、四苦八苦してしまうのだそうだ。作品の大きさを決めるのにも苦労する。写真集から拡大コピーをして、さらにこれを紙に手で写し取り、型紙をつくる。4方向からの写真があれば4枚の型紙を作ることになる。型紙は細い筆で描く。
 先ずは丸太や角材を荒削りにするために鉈(なた)やのみを使う。小池さんが一つの作品を完成させるまでに使う道具は70〜80本。何段にもなる浅い引き出しに整然と並べられている。仏像の大きさによって異なるが、夜にこつこつとやって2〜3年かかる。若い頃は夕食が終わる7時頃から深夜の2時、3時まで夢中になって取りかかっていたが、今は11頃で止めることにしているらしい。もともと力はある方であったが大学時代柔道部で培った腕力で木の重さなど苦にならないという。
 仏像作りには、3つの「き」がいる。その「き」とは、先ず「木」であり、つぎに「気持ち」、そして「根気」であると小池さんは平然と語ってくれた。

木刻に使われる道具
木刻に使われる道具が整然と並べられている引き出し

◆仏師・小池健甫の仏の魂とは・仏の慈悲とは
 「仏つくって魂入れず」ということばがある。ひとりの仏師から生まれた仏像には、いったいいつの時から魂が入るのであろうか。
 仏像彫刻で大事なことは、如何に個性をなくすかであると、小池さんは語ってくれた。木刻全般であるならば作者の個性を出すのが当たり前のことである。作者の鑿(のみ)使いで個性を出すことになるが、観音さまなら観音さま、阿弥陀さまなら阿弥陀さまを型紙どおりに忠実に作ることで、見た人それぞれの心が受けとめればよいのではないかと話してくれた。つまり仏の魂は丸太ん棒を荒削りするところから仏師が入れるのではなく、完成した仏像を手にした人、目の当たりにした人の思いや祈りが入るときが、魂が入れられたとき、ということである。しかし、これらを語る仏師・小池健甫の仏像への入魂は、仏像彫刻を始めた十数年前にすでになされていると確信した。
 個性を出さない、その反対に表現しなくてはならないのが「慈悲」の心であるという。一本一本の指先に込められた慈悲を表現するために指先、足先は特に念入りに仕上げる。力強いがやさしい指先の動き、また邪気を踏みつけてはいるものの足の親指だけを上に上げて力のかかり方を押さえていることが「仏の慈悲」であることに行き着いたという。
 仏師・小池健甫が鑿をふるう度に出る木の香りがまだ記憶に新しい。

製作途中の仏像と小池健甫氏
製作途中の仏像と小池健甫氏
 

取材後記

◆岡谷市在住の仏師・小池健甫さんを訪問して
 諏訪湖の氷は所々が溶けているだけで、凍っている湖面を渡ってくる風はとても冷たいものでした。「仏師」という響きが持つ崇高さとは全く異なり、ごくごく普通の方でした。そのことが却って緊張せず、いい取材につながったと思います。
  仏像を作る仕事部屋でたくさんのお話を伺いました。お話を伺っている間に、小池さん自らコーヒーをいれてきてくださり、恐縮しました。コーヒーカップを置かせていただいた手元の小テーブルがとてもぐらぐらするので、インタビュー用のマイクとレコーダーにこぼしてはいけないと、緊張したのをよく覚えています。この間、少しあわててマイクを移動させたり、ノートをどけたりする音がしっかり入っていました。
  また、帰りがけに「御柱祭」で有名な山の急斜面の上に案内していただき、あの神事の興奮を肌で感じる体験ができました。

取材と写真:山下 多恵子(同窓会常任理事、広報委員会)

 

「香」の入る蓋物
「香」の入る蓋物。使ってゆくと仏様があらわれる
笛の音が聞こえてきそう
大木を落としてご神木に
如来の奏でる笛の音が聞こえて
きそうな木刻もある
ご神木になる大木をこの頂上から
落とす