■御前崎の漁師、石川敏男さん
銀行員から一転、漁師となった石川敏男さんを紹介いたします。
30年以上のキャリア銀行員から一転、故郷の御前崎に帰って漁師となった。
遠州灘の青い海に投げ入れた網にかかったのは、「人生の旬」!
◆2艘の船で息を合わせてシラスを捕る。福田発即日配達!
遠州灘を渡ってくる風は、波をキラキラと輝かせながら漁港に吹き付けてくる。なんとも心地よい春の日である。
ここは静岡県の福田(ふくで)漁港。サッカーのジュビロ磐田で有名な磐田市から14〜15キロ南下した遠州灘に面した漁港である。西へ30キロも行けば浜名湖がある。
漁師になって今年で4シーズン目の春を迎えた石川敏男さん(15E)は、シラス漁を中心に漁をしている。シラスの漁は毎年3月21日から翌年の1月15日までの10ヶ月間と決まっている。理由は強い西風のために出漁できないことと資源保護のためである。
朝は4時半に家を出て港に向かう。福田漁港までは御前崎の自宅から車で25分ほどの位置にある。渋滞知らずの一本道は快適だ。漁港に着くと氷を積んだり、網を縛ったり出漁準備に追われる。今年から尻抜き(網の先端のことをいう)を縛る大切な役目を与えてもらい、準備するその手に力が入る。5時半、いっせいに船を出す。船は弥栄丸。8.5トンの6人乗り。
シラス漁は2艘の船で、パッチ網(男物の下着である「ももひき」に形が似ているところからこの名がついた)と呼ばれる網を引っ張る「底引き網漁」である。2艘の船が1組となってシラスの群れを必死で探す。福田漁港には25組50艘ほどのシラス漁の船があり、海に出てからは遠州灘を上ろうが下ろうが漁場の範囲内では自由に操業できるので、魚群探知機を使いながらも、あちらこちらへと船を走らせる。「網を入れてよい」との指示が無線で入る6時25分まで、シラスの群れを探し当てている船がいるかどうか、他の船の動きを見逃さずに船を走らせる。
一回目の網は7時半に巻き上げる。ここからが急に戦闘状態に入る。網が平に巻き取れるように絶えず気を配るのと同時に、自分の体がウィンチに巻き込まれないように十分注意を払わなくてはならない。シラスがぎっしりと詰まった尻抜きが海上に姿を現わす。揚げたシラスを素早くバケツに移し氷を入れる。この作業を2回、3回と繰り返す。
漁を終えて全速力で港に戻るのが12時頃。バケツのシラスをボーラと呼ばれるカゴに移す。ボーラひとつでシラス30s入ると言う。さっそく「競り」が始まる。このスピード感はすごい。「競り」も終わり、明日の出漁の準備を完了させて港をあとにする。船上で朝食も昼食も摂ってしまうので、家で食べるのは夕ご飯だけ、4時頃から晩酌をして食事を済ませ、9時頃には就寝となる。
◆船酔いしないこと、そして何よりも海が大好きなことが新たなスタートのきっかけに…
高齢化してきた親のこともあり34年と9ヶ月勤めた銀行を退職し、御前崎に戻っての職探しが始まって5ヶ月あまりが過ぎようとしていた。その間大好きな釣りにも出かけていた。銀行時代には、釣り部に入り、楽しい部活を送ってきた石川さんにとっては、職探しよりも釣りが日課になっていたようである。
ある日近隣の人がとれたてのシラスを釜揚げして持ってきてくださった。それを食べた瞬間、幼かった頃、学校からの帰り道に「食べていかないか」と声を掛けられ、口にしたそのシラスの美味しさが石川さんの体の中から沸くように甦って来たのである。シラスの地元で育ったのにシラスの捕り方すら知らない石川さんにとってシラス漁への興味が高まっていったのである。
シラス漁の盛んな福田漁港に足を運んだその日、3日間手伝ってみないかと誘われ翌日から石川さんの記念すべき新たな人生がスタートしたのである。2日目に「来てくれないか」と船長から言ってもらえたものの、初日が終わった時点で想像以上に体力を費やし、疲労困憊で、長年銀行勤めで趣味に釣りしかやってきたことのない自分が、このような力仕事を続けられるかどうかが不安で即答はできなかったという。
しかし3日目の仕事が終わった時、前日までのその不安は全く消え去っていたのである。身体は疲れているものの、仕事を終えた達成感と充実感でいっぱいの自分がそこに居た。
ようしっ、明日からはシラス漁の漁師になるぞーっ!
◆ある時は遠州灘に鰹を追い、またある時はマルの「なぶら」に出っくわす。 でも、うさぎが跳び始めたら?…
漁の善し悪しを左右するのは天候である。石川さんは漁師仲間から教えてもらった天気のこと、漁具のこと、魚のことなどを漁師になったその日からノートに書きとめている。波のこと、雲のこと、水温のこと、風のこと、それぞれの魚に合う釣り方にいたるまで私に丁寧に説明してくださった。こちらまで明日からでも漁師になれそうな気分である。
海がないでいてもシラスが全く見つからないこともあり、その反対に台風がくる2、3日前の少し海が荒れ始めた頃に大漁になることも多いという。沖合4qほどのところを浜にそって操業しているシラス漁であるが、シラスが全く捕れないとなると、鰹をもとめて200q近く陸からはなれることもある。また船からこぼれたシラスを餌とするマル(キハダマグロの幼魚)が「なぶら」(魚の群れのことでこの地方の方言)となって姿をあらわすこともあり、それを一本釣りするときは心が弾むのだそうである。
漁を終え全速力で帰港する。これは鮮度を保つために最も大切なこと、海上を時速60キロのスピードで走る船の上で海中に網を流しながら洗う作業は大変な危険を伴う。ものすごい水の抵抗で身体が海の中へ引きずり込まれそうになる。さらに船は波の上をバウンドしながら進むため、つま先を固定する金具に足先を踏ん張って立つのであるが、これは命がけの作業だという。
漁をしていても南西風が強くなってきたらすぐに帰らなければ船が危ない。風が強さを増し、白波が立ち始めることを「うさぎが跳ぶ」と呼んでいる。
このように危険とたえず背合わせの仕事であるが、海から眺める富士山の美しさ、
青い空に映える御前崎の白い灯台、浜名湖まで続く美しい砂浜に囲まれている幸せはなによりの宝物であるという。コンピューターとはきっぱり縁を切り、ペンディングの仕事もいっさい無く、頭の中を次の日に向けて空っぽにできるこの今の仕事こそが「人生のこれぞ本番」と、少年のように目を輝かせながら石川さんは語ってくれた。
いつも網を引き上げるまでの時間に詠んでいる句を紹介します。
・退職後 ノーネクタイの 自由人
・ワクワクし 鰹を釣った 一本竿
・気持ち良い 汗流し 手繰る網
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