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 「梅きち」
     伊藤 至(2回経済)


 私たちの学生時代、江古田の駅舎は古い木造建築で改札口はプラットホームの桜台駅寄りにあり、線路沿いの道端にはパチンコ屋などが並んでいた。 思えば、私が江古田近辺に住み移ったのは小学校三年生のときだった。まだ練馬区が誕生す以前、第二次大戦が始まる前年のことで、以後大学卒業までを含む三十年間にわたる多感な時期をこの地で過したのであった。いわば、江古田界隈は私にとって第二の故郷なのだ。そう思うと、さまざまな思い出が漠然とではあるが改めて蘇る。…
 近くにあったT大学空手部の寮の連中との喧嘩で殴り倒され、意識不明状態になって失禁してしまい恥ずかしかったこと。駅を挟んで武蔵とは反対方向の踏切近くに小さな本屋があって、その店では立ち読みばかりしていたのだが、あるとき店の主人から声を掛けられ、何事だろうとおどおどしていると、「売れ残りだが、よかったらあげるよ」とにこにこしながら一冊三十円の「アテネ文庫」数冊をくださったのだった。その時の嬉しかったこと‥‥‥などなど。 江古田の街では多くの人々との出会いがあった。中学時代から電気器具修理のアルバイトを続けてた所為もあったが、なんといってもそれは、街裏の風変わりな赤提灯の店に夜な夜な入り浸るようになったお陰だろう。
 この常連のなかには著名な画家、詩人、学者をはじめ、新聞記者、雑誌編集者、実業家など実に多彩でそうそうたる人々がいて、飲み浸りながら職業や年齢の分け隔てなく侃々諤々。 ときには声を荒げて激論し合ったりもした。戦後の一時期、盛り場などではどこでも見受けられた光景であったろうが、江古田の街にもそうした時代の空気が流れ込んでいたのだろう。
 ところで昨年十一月のホームカミングの日、経済二回卒業生の同期会が「梅きち」で開かれた。かつては足繁く通ったことのある、私にとっては全て懐かしい店。店主夫妻とは何年ぶりかの再会だったし、娘さんは私のことをはっきりと覚えていて声を掛けてくれた。 同期の旧友との雑談の最中にも、私の頭の中には過ぎ去った日々の江古田の街のさまざまな思い出が跡切れなく漂うのだった。