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■菊池 孝一氏(38回経営)

「秋田を元気にしたい」 ―熱い思いを背負って頑張る秋田の男―

 なまはげ?銀座で?銀座でなまはげ?

 菊地さんのお店「なまはげ」銀座店の話を聞いた時の感想だ。何人かの人たちから、「面白いよ!」と聞いたものの訪れるチャンスがなく、時が経ってしまった。興味深々で昼の銀座へ伺った。

秋田活性化となまはげ

 銀座8丁目のごく普通のビルのエレベーターで9階に降りると、そこは秋田だった。店内は菊地さんの出身地の近所にあった病院の理事長先生の140年前の生家を頼み込んで持ってきたそうだ。秋田は人口が減り、少子高齢化や中心商店街の空洞化が進み、秋田が生きる道はあるのか模索する中、秋田には素晴らしいものがあると再認識することとなった。

 その素晴らしい素材を如何に活性化することができるのかとまず具現化した秋田の民間のアンテナショップが、ここ「なまはげ」なのだ。菊地さんに言わせると、「ここは、なんちゃって秋田なんです。なまはげ、キリタンポ、稲庭うどん、比内地鶏が一箇所で体験できる場所です。ここで、美味しい、面白いと思ったら、是非、秋田に行ってみてください」。

 13年前、秋田で菊地さんは、「秋田をどげんかせんといかん!秋田を元気にしたい!秋田に来て欲しい!」と、同じ思いを持つ仲間と共に動き、目論見書を手に県会議員から主婦までの県民85人から出資金を集め、「秋田活性化株式会社」を立ち上げ、日本の、東京のど真ん中の銀座の100坪の秋田が通用するかどうかの勝負を仕掛けた。その後、仙台、そして、4年前には銀座にもう1店舗を開店させ、成功を収めていらっしゃる。秋田の存在を知ってもらうために作ったのだから、日本のゲートウェイの東京の銀座と東北のゲートウェイの仙台にしか作らない。

ホテルの文化

 菊地さんは、いつの頃か地元で『ホテルを創ろう』という夢があった。にかほ市は、TDKの創始者の出身地でいろいろなお客様がいるのに、ホテルと呼べるものがなく、離れた場所に宿泊するのを見て、ホテルの文化をいつか創りたいと考えていたのだそうだ。お祖父様は船主で自ら獲った魚を売り、仕出し屋をやり、お父様はそれを使って貸宴会場を、と、代々自から考え、生きていく、創っていくという環境の中で少年時代から自然と『ホテルを創る』という夢が育まれていたのだろう…

  バブル全盛期の就職で、どこでも就職できた。その中で、『ホテルを創る』夢を実現するために、菊地さんが選んだのは、ホテルではなくホテルを所有する第一不動産。入社1年半後、出向願いを出し、舞浜のホテルで営業企画など中枢での仕事をこなし、ホテルのイロハを学んだ。その後、地元へ戻り、『ホテル創り』を始めた。その時、武蔵での放送会の経験が役に立った。

 菊地さんは武蔵では経営学科で貫先生のゼミで勉強し、放送会に在籍、会長として、製作スタッフとしても充実した学生生活を送った。ホテルでのイベントの作り方、原稿の書き方、照明、音響などすべて学生時代に培ったものだそうだ。ホテルの宴会場においては、10年前にはすでにLEDの照明2万4千色を使って、あらゆる色を作ることも可能で照明技術賞をいただいたという実績もあるのだ。学生時代は放送会の活動が、自身の夢である『ホテルを創る』ことに役立つとはそれこそ夢にも思わずにいたということだが、結果的には大いに役立つこととなり、無意識のうちに、自身の夢の実現のために、自ら選択したのは何かに導かれていたに違いない。そして、その経験は技術的なものだけではなく、企画力にも発揮されている。

 ディナーショーやトークショーの企画では、旬な人の見極めが、ずば抜けてあるようで、今までの講演者には、副知事時代に依頼してあった猪瀬前都知事が、トークショー時には都知事になって初めてのトークショーとなって、SPは来るわ、金属探知機は持ち込まれるわで大変な状況になってしまったとか、野村克也氏、林修氏、古賀茂明氏など、誰もが知っていて、話を聞いてみたいと思えるような人物をチョイスなさっている。さらに、地元でジャージー牛と比内地鶏の卵という秋田ならではの良いものと良いものを「ガッチャンコ」させて、美味しいものを作ろうとの試みでプリンも作って、それがナムコのプリン博で入賞もしていて、知る人ぞ知る名品なのだ。

ヤンキースタジアムで「キリタンポ」

 菊地さんは去年2週間かけて、ロサンゼルス、ニューヨークを回って、自ら「キリタンポ」と「ババヘラアイス」を手売りしてきた(ババヘラアイスとは、ババアが、ヘラでアイスをすくって作る秋田のトラディショナルアイスで、菊地さんはそれをバラのようにアレンジして作ったそう)。いよいよ、アメリカへの挑戦だ。今世界は、空前の日本食ブームだ。風は吹いている。3年計画で始めたが、なまはげのレストラン経営に興味を持ってくれた人物も出てきたそうで、近い将来、ニューヨークで菊地さんの「なまはげ・ニューヨーク店」の開店が実現するかもしれない。

 「WHAT IS TOUHOKU?」「WHERE IS AKITA?」 というアメリカの中で、「AKITA・秋田」が安心、安全、美味しい高級ブランドであることをアメリカ人に植え付けることができて、それが海外での評価に影響を受けやすい日本に逆輸入できれば、と期待なさっている。
 いつの日かヤンキースタジアムで「キリタンポ」を食べている人を見ることができれば嬉しい、と菊地さんはおっしゃった。

 秋田を元気にしたいと頑張られているお姿はたのもしく、その思いを実現するためのアイデアを次々と生み出す頭脳に脱帽。秋田を好きになり、昔家族の一員だった秋田犬を思い出してしまい、秋田を身近に感じることができた。今後の菊地さんから目が離せません。

(取材と文:白鳥 優子、26回経営)