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■対談 教育の現場から

 金融・マスコミ・メーカーにサービス業と幅広い業界に卒業生を輩出している武蔵。実は全国の中学や高校で教鞭を執っているOBが数多くいることを皆さんはご存知だろうか。今回はその教育の場で活躍する卒業生を代表して、先生お二方にご苦労話もまじえ熱く語って頂いた。埼玉と鳥取、60代と40代、年齢も環境も大きく違うお二方の共通点は商業高校でのご勤務、そして溢れる情熱だった。

<対談してくださった方々>
杉本 範雄氏(21回経営) 埼玉県立上尾橘高等学校教諭
安井 宏樹氏(39回経済) 鳥取県立鳥取商業高校教諭(武蔵大学大学院生)

 平成26年4月11日(金)武蔵大学教職課程会議室にて 司会:橋 佳里子(32回英米)

安井 宏樹氏(39回経済) 杉本 範雄氏(21回経営)
(司会)先ずは簡単にご経歴をお聞かせ下さい。

 (杉本)
 
73年の卒業後、高校の商業教諭の採用となり、最初の15年間は埼玉県立与野高校の商業科で、生活指導・生徒会・担任の業務を務め、また部活ではバドミントン部を指導、関東大会に行けるまでに育てました。
 その後埼玉県立和光国際高校に移り18年間過ごしたのですが、特に、当時は珍しかったパソコン通信を授業に採り入れ、英国の高校と電子メールでやりとりするといったインタ−ネットの先駆けのようなことをやったり、外国の生徒と共同で一つの作品を作ったり、また今とは比べものにならないような環境の中でテレビ会議なども手がけました。
 当時としては結構画期的だったのではないかと思います。そして、現在の埼玉県立上尾橘高校に移りましたが、英語が得意な生徒もいない為、今度は日本語ベースで海外と交流する活動を行っています。4年前に定年を迎えたものの、現在も再任用として週3日通っています。個人的にはアイアーン(iEARN)という世界的な生徒と先生のNPOに属し、他校の生徒の面倒もみるなどコーディネーターの仕事もやっています。またバドミントンを長く指導してきたこともあり、協会の常任理事も務め、縁の下の力持ちとして頑張っています。退職はしましたが、結構忙しい日々を過ごしています。

 (安井)
 私は91年に卒業、鳥取県立鳥取商業の非常勤講師を1年務めた後、正式採用となり、23年間同一校で勤務することとなりました。もともと社会科の教員を目指していたのですが、縁あって商業科の先生になったわけです。そして32歳の時に野球部監督を命ぜられ、12年間、球児と共に汗を流し、2度の甲子園出場を果たすこともできました。
 実はその前年の1年間は県の交流事業のトップバッターとして韓国に赴任、高校で日本語を教えていました。学習面ではコボルのプログラミングを長く教えていました。また、私も生活指導が長く、様々な問題に対応してきました。ただ、長年高校野球に携わっている中で、特殊な世界ゆえ、生活や考え方のバランスを崩してしまうのではないかという危惧もあり、自己啓発休業という人事院の制度を利用し、この4月から2年間、武蔵大学の大学院に在籍、地域振興をテーマに研究させて頂いています。併せて、大学野球部の活動のお手伝いをしています。

(司会)お二人の共通点として商業高校の先生でいらっしゃる点がありますが、商業高校ならではの特徴といった点で何か感じることがおありですか?

 (安井)
 日本で一番人口の少ない県の実業高校ですから果たして全体の傾向を表わしているかどうかは疑問ですが、保護者の所得が生徒の進路に影響を与えていると感じることが非常に多いということですね。
 実は実業高校だからといってすぐに就職する生徒は少なく、6割強が専門学校を含め進学していきます。但し、深い学びを求めての進学というより、就職先がないために先延ばしにするといった発想で進学しているようです。 本来は卒業して就職することを目的として作られた高校であるにも拘らず、現在はそういう状況になっています。

 (杉本)
 地域とかその学校の県での位置によるところが大きいのです。どういう生徒が入ってくるのか、どういう家庭の層が入って来るのかが大きく影響しています。更に時代背景にも大きく反映されます。70年代は大手企業からの引き合いも多く、特に女性は、銀行・証券といった一流企業に就職する卒業生も多かったですね。
 また、私の中学時代にはクラスで上位でも商業高校を目指した生徒がいました。今は普通高校に行けない子が商業高校に行くというのが実態です。というのも、80年代以降、企業が普通高校の生徒を求めるようになって来たのです。
 要は基礎学力のある生徒がほしいということです。その背景にはOA化が進み、簿記とか算盤といった知識・実力が必要でなくなってきたんですね。私は慌てて、商業科の生徒に時代に合わせるような指導をしていきました。ただ未だに、多くの先生方が50年前と同じ簿記を教えているのが現実です。私は社会科の教師を目指しながら商業科の教師になった為に、商業科教育を批判的な目で見られるのかもしれませんね。

 (安井)
 確かにSEやプログラマーでさえ、商業の情報処理関係よりも普通科の大卒の方が好まれるという傾向がありますね。結局、より専門的な学習をした者より、幅広く学んできた人間を自社養成した方が良いという流れがバブル期頃からあったように思います。だからこそ、商業高校の目的は人づくりだと諸先輩方から教えていただきました。

(司会)さて、安井先生は大学院で2年間勉強されるということですが、具体的にはどんな研究をなさるのでしょうか?

 (安井)
 地域振興というテーマなのですが、鳥取という地域に住んでいて、少子高齢化が加速し、産業が衰退していく現状を目の当たりに感じていた時、この制度を知り、それでは外から地元を見てみようと思ったわけです。また商業教育の危機を感じていたことも動機のひとつです。
 色々なテーマ設定がある中でアジア経済と地域振興をミックスしたような研究になると思います。アジアの経済を学習することで地域振興に活かす、そういったヒントがあるのではないかと思っています。内を見る、外を見るということをバランスよくやっていくことで研究を深めていきたいなと思っています。

 (杉本)
 
先程、商業教育の危機というお話が出ましたが、ほんとに今、現場の先生方に危機感がないのです。教育の危機というのは色々な面があると思いますが、商業教育の危機は凄く切実だと思っています。現場の先生方がそれをなかなか認識されていないというのが厳しい現実なのです。先の展望が見えないですね。

(司会)教育現場の危機感という点では、例えば大学とりわけ当学にいらしてお感じになった点はありますか?

 (安井)
 
教育現場の危機という観点ではなく、本学がよりよくなるための方策という観点です。例えば、ずっと関わりあいを持ってきた野球部の取り組みで言うと、本学の部員は今百人という大所帯ですが、平日大人の目が行きわたっていない。いつの時代もそうかもしれませんが、特に今の大学生の大半を、大人として判断できるのか私は懐疑的です。
 余りに人数が多いせいか、ボールが放置されていたり、整備が行き届いていないこともあります。学生のすることだからと見過ごすわけにもいかない。高校で野球に携わってきた者からすれば、何とかしなければならないのではと思うことが多くあるわけです。危機管理といった面でも、学生の生活もある程度きちっとしたものに導いていくという仕掛けをしていかなければいけない時代に来ているのではないかと思います。彼らを見ていると、非常に危ういというか脆弱なんです。特に下級生の多く、上級生の数名でも高校生と変わらないと感じることも多々あります。

 (杉本)
 
私の娘も武蔵の卒業生ですが、実は親から見ると一般的に武蔵は安心して子供を預けられる大学だと思います。教師仲間の子息も結構武蔵に来ているのですが、非常に評価は高いです。残念ながら名前は知られていませんが。ただ、私が武蔵の出身だと言うと、保護者は安心して受けさせてくれるのです。そういう意味では武蔵出身の先生って大切かなと思います。
 先ほど安井さんから危機感の話が出ましたが、安井さんは生徒との関わり方が密なんだと思います。丁寧なんです。私も運動部を持ったり生徒指導をやったりしましたが、生徒指導をすると生徒や保護者とぶつかるし、部活は多くの時間を取られます。どんなにコンピュータが発達しても教育の場は人間対人間ですから、生徒や保護者とうまく通じ合えば成果が出て来ると思うのです。安井さんは野球や課外活動を通じ、その情熱が周り(に多くの人)を呼んだと思います。一生懸命やればやるほど生徒はついて来るし、どんなにきつい生活指導をしても、ちゃんと見ている生徒はそれを良しとしてくれるわけです。
 やはり我々教員がいつも危機感を、しかも愛情を持った目で生徒や学生を見て保護者と対応すれば乗り切れるのではないかと思います。教員になった人が、もっともっと教育というものを見つめて行かなければいけないんじゃないかと思いますね。まあ確かに、国の法律や方針が変わったりと難しい点はあるし、言えば言ったで締め付けもある。余計な人事評価が入って来たり、余計な仕事が増えたりして、生徒の面倒をみられなくなってきている現実も一方ではありますが、何だかんだ言いながらも人と人とがつながる社会ですから。

 (安井)
 
以前は生徒目線とか学生目線といった言葉が大事にされたりと、そういう風な教育観も大切だとは思いますが、ある年齢からは背伸びしてでも大人目線に持って行かなければいけないと思うんですね。ですから私は、高校生や大学生に対しては大人的な感覚をどれだけ注入してやれるかが大事になって来ると思っています。
 そこで、クラブとか勉強の教室以外で、そういった大人目線に立てるような学生が多くないと、武蔵を卒業したということのアドバンテージにはならないんじゃないかと思います。これはただ、そういう目線で教える人間が、先生方の講義以外にも数多くいないとそういったことは養われていかないんじゃないかと思います。

(司会)最後に、杉本先生は長く白雉教育会に携わって来られ、現在事務局長をなさっておられますが、何かコメントがあればお聞かせ下さい。

 (杉本)
 教員生活24・5年の頃、それまで生徒指導・部活等で学校に集中して仕事をしてきた生活に、部活を離れたせいか少し余裕が出て来たのです。そうすると今度は少し寂しいなと思っていたところ、母校である武蔵大学がわりと近くにあったので、当時の土曜講座に参加するうち、大学の先生方と親しくなり、文部省委託の共同研究などをやったのです。
 そして黒澤先生から、休眠状態になっていた教育会を一緒にやってみないかとお誘いを受け、出入りするようになりました。非常勤講師もやらせて頂きました。また、当時勤務していた高校の生徒にはお嬢さんお坊ちゃんが多く、武蔵の学生と非常に相性が良かったことから、TV会議システムなど県が導入したばかりのシステムを使い大学側から授業を発信してもらったのです。
 経済やフランス語の講義をライブでやってもらい、高校の教室で大画面に映し出しました。亡くなった平林元学長にも、学長のご挨拶の後、フランス語の講義をお願いしました。何せ武蔵大学は情報機器関連の設備が充実していましたから、お陰様で受け手側の高校の設備も県が整えてくれました。
それから結びつきが深まり、私も長く白雉教育会に携わることになったわけです。

(司会)私も白雉教育会の一員なのですが、是非安井先生にも入って頂きたいなと思っているのですが・・・

 (杉本)
 急に言われてもお困りになるのでは(笑)、むしろ安井先生は野球部の面倒もご覧になっておられるなど、毎日が白雉教育会の活動をなさっていると言えるのではないでしょうか。現職の方が勉強しながら後輩の面倒をみて下さることは教育界としての一番の(願いだと思います)。

 (安井)
 私は入学した頃、教養ゼミで黒澤先生の薫陶を受け、教育実習にも鳥取まで来て頂いたのですが、その後は年賀状のやり取りだけになってしまいました。武蔵で学んだことは今でも生きており、武蔵への愛は強いのですが、教育を研究しているような気持ちにはなれず、朝から晩まで、自分や周りに起きたことで精一杯でしたね。
 今回大学に来た理由も、教員になって、やってこなかった勉強をやろうということなんです。日々教育活動に追われ忙しい毎日でした。23年間、教師をやって来たとはいえ、自分としては3年間くらいにしか思えません。正に一瞬、あっという間でしたね。

(司会)因みに杉本先生は何年間くらいに感じられますか?

 (杉本)
 私はこの仕事は42年目ですが、一瞬でしたね。


黒澤先生からの伝言
お二方の対談を後日録画でご覧になった恩師黒澤先生から、下記のようなメッセージ(要約)が届きました。

 高校における商業教育の今日的問題と課題を提起し、生徒一人ひとりに正面から向き合っている二人。ICを取り入れた情報化社会における魅力ある教育の実践に取り組む杉本さんと、過疎化していく地方都市の地域活性化に商業高校は何が出来るかとの課題を提起し模索している安井さん。
 お二人の中に、未来に向かって困難な中にも生徒たちと共に希望に燃えて生きる高校教師の姿をみることができた。そんな、主体的に困難な現状を切り拓き未来への希望に向かって挑戦している姿には、まさに、武蔵大学建学の理想が「いぶし銀」のように体現されていることを痛感。お二人の今後の活躍を期待してやみません。

 その昔、青春ドラマに出て来た熱血教師、ブームを巻き起こした名物教師、或は大学合格に命をかけるスパルタ教師。先生のイメージは人それぞれかもしれない。
 今回ご登場頂いたお二方は、大学進学を目指し、模擬テストの点数や偏差値ばかりを気にする、我々が良く知る先生とは違っていた。
 情熱と愛情を持って、真剣に生徒のことを考えながら多くの卒業生を見送った先生である。中でも「先生の行かれた大学なら子供を受けさせたいと父兄に言われる」との話は、武蔵の評判を高める上でも、全国の武蔵出身の先生方にお伝えしたいエピソードである。
 教育業界でも異彩を放つ存在、それが武蔵だと言ったら言い過ぎだろうか。

 (文:広瀬 壮二郎、28回経営)