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■みやま市・坂田 敬之介さん(17回経済)


今年のみかんも日本一うまかぁ!

 福岡の市街地から車で1時間ほどのところに、みかん畑が広がっている。そこでは、蝉と秋の虫の声が入り混じった音しか聞こえてこない。見上げると、夏の名残の入道雲が真っ青な空にもくもくと出ていた。
 訪れたのは、福岡県南筑後地方の瀬高町にある「稲荷山坂田柑橘農場」である。段々畑はみかんの樹で埋め尽くされていた。これが坂田さんの手塩にかけた「自信作・日本一のみかん畑」だ。

◆家業を継いだことで見えてきたもの

 

 大学を卒業してから、家業を継ぐことになった。実家の仕事は肥料の会社を経営していたので、坂田さんは肥料のこと、農業のことをたくさん勉強し、その知識を貯めこんでいった。新製品の開発、販売と我武者羅に働いた。仕事をしながら考えていったことがあるという。
 この近年、外国産のオレンジやグレープフルーツなどの柑橘類の人気が高まり、また国内でも外国の柑橘類を生産する農家が増え、そのような状況に押されて、日本古来のみかんの消費が少なくなってきていることに気がついた。昔はどこのうちでも、誰もが、冬が来れば「温州(うんしゅう)みかん」を食べていたものである。お膳の上や炬燵の上には籠や器にみかんが盛られていた光景はみんなの記憶にあるはずである。

ご自慢のみかん畑にて 左より息子さん、坂田さん、平林学長、井上副会長

  坂田さんの悩みは「日本のみかんの代表」と言っても過言で無い「温州みかん」の消費が少なくなってきたこと、それよりももっと坂田さんを悩ませたのは「農業の後継者不足の問題」であったという。このままでは日本の世界に冠たる農業技術が絶対に途絶えてしまうとの危機感を抱き、60歳を目前にして「みかん作り」をスタートさせた。
 「ようしっ、俺(おり)が日本一美味しい(うまか)みかんば、作るっタイ。こげん決意して、みかんば作り始めたとです」みかんの樹を背景にそう語ってくれた。協力者は妻、息子たち、娘たちの6人で、力を合わせた。