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●久しぶりに開いた「四月会」総会
    世話人代表 1回生 向山 巌
 
 武蔵大学の実質的な創設者で、初代学長の故鈴木武雄先生の教え子で構成されている「四月会」の総会が、2003年4月19日午後、完成して間もない偉容を誇る母校の八号館において開催された。
  12回生の木村君を中心とする世話人たちの努力が実り、当初の見込みを上廻る62名の参加があり、先生のご遺徳を偲びながらの楽しい会合となった。
  総会には,お嬢様の洋子様が神奈川の葉山からご臨席をいただいて、また開学の頃、経済学部長であった先生が、しばしば登場するキャンパスのさまざまな行事や教授と学生の交流を記録した貴重なフィルムを、編集、解説した最近作成のビデオ(「我がこころの風景」)と音楽が会場内に流れて、雰囲気は一層和やかなものとなった。
  鈴木先生は1901年4月27日のお生まれなので、ご存命であれば102歳になられる。先生は日頃、「僕の人生は二十世紀とともにスタートした」といわれていたが,1975年、大学始まって以来の激しい大学紛争の最中、学長として職務中に倒れられ、惜しくも74歳で他界された。
  以来、28年の歳月が流れた。その間、教え子たちの募金をもって建立され、大学図書館の入り口に置かれている胸像が、訪れる学生たちを静かに見守っておられる。
  鈴木先生が東大を退職され、武蔵で専門ゼミを担当することになった機会に誕生した「四月会」は、先生の存命中は毎年の総会と機関誌を発行してきたが、逝去されてからも総会は断続的に開催してきた。最近は数年に一度となったので、5年ぶりとなる今回の総会にどれだけの会員の参加があるかやや不安であったが、出席の教え子が多数であったことは、先生への追慕の念がいかに大きかったかを物語っている。
  来賓のお嬢様はご挨拶のなかで、「父は21世紀まで生きて、武蔵大学の成長した姿を、そして日本の社会を見たいと望んでいたので、今日の武蔵を知ったらどんなに驚いたことか」、と述べられたのが印象的であった。
  出席者の半分くらいは「還暦を」過ぎており、なかには「古希」をむかえたものもすくなくない。世話人を代表して1回生の向山から、総会に至る経緯、四月会の誕生と機関誌「あぷりーりす」の命名をめぐる思い出話などが披露された。
  3回生の櫻井氏(前学長)から挨拶と献杯の音頭があり,その後、8回生の松山氏から鈴木先生が日本経済新聞の「交遊抄」(1973.8.18)に寄稿された「三大学の教え子」(戦前の京城帝国大学、東京大学、武蔵大学)に関する内容が紹介された。
  名古屋、福島から駆けつけた教え子もいて、出席者からそれぞれの分野について興味の尽きない思い出が語られ、11回生の上田君の挨拶で閉会となった。
  総会を終えた人たちは、各グループに分かれ青春時代の懐かしい匂いを求めて江古田の街に繰り出していった。
  先生のおられない総会であったが、しかし出席者全員のこころのなかは、先生が不滅の存在として生きつづけているという満足感で包まれていたのではないか。総会の開催の準備に努力をされた世話人各位にこころから謝意を表したい。